夏休みの先生方へ
教育長の大泉です。
3月まで37年間ずっと中学校に勤めていたので、夏休みというビッグイベントにはいまだに特別な感情が沸いてきます。あれもしたいこれもしたいと思いながら、あっという間に8月に突入してしまいました。
学校の先生方は、学期中はとんでもないほどの業務量を抱えて息をつく暇もないくらい忙しかったはず。教育委員会としては、夏休みは先生方にできるだけゆっくりと過ごして、しっかり充電していただきたいと思っています。
さて、先生方の充電という意味で、各学校では夏休みも校内研修が組まれます。私も講師として呼んでいただくこともあり、そんな時にはこれまでの経験から「学校とは何か?」「先生とは何か?」という問いについて自分の考えを整理して以下のようなことを先生方にお伝えするようにしています。
学校で自分のことを何と呼んでいますか?一人称は何ですか?
教員採用試験に受かって、学校に赴任して、みなさんは「先生」になれたのでしょうか。
みなさんは学校で自分のことをどう呼んでいますか?「先生」ですか?「私」ですか?
どちらが正解で、どちらが良い悪いというのではありません。ただ、自分のことを「先生」と呼ぶことに違和感を持ち続けてほしいということだけです。そういう心構えでずっと教師を続けてほしいのです。生徒や保護者に、長年かけて本当の先生にしてもらうんだという自覚をもつことが大切だと思っています。
〇〇畑で教師をしない
ある荒れた中学校の校長先生が自慢げに語っているのを聞いたことがあります。「『人権』のことはよくわからない。自分はずっと『生徒指導畑の人間』だから学校の立て直しに抜擢されたのだ。」と。
そんな特別な畑で私たちは仕事をするのではありません。学校の先生はマルチタスクなものです。そしてそのすべての教育活動の根底をつくっているのは「人権感覚」です。生徒指導畑なんていうところだけで仕事をしてきたなんて胸をはっているのは偽物の教師だと思います。
外へ出よ
平成21年から仕事をしながら2年間夜間大学院に通っていました。先輩の先生から「今さら大学院へ行って何の資格がとれるの?」と聞かれましたがそうではありません。教師に必要なのは「時間と空間」を拡げることです。そのために外へ出ていろいろな人と会って話さなければなりません。資格をとるためではありません。
昔、学校にだけピアノがあった…
昔学校にはピアノがありました。それだけで学校は地域の宝とされていました。ところが今や、学校だけがICTなどで立ち遅れている傾向が強いです。とくに公立学校は。たしかにICT教育には力を注いでいかねばなりません。社会に出ていく子どもたちのためにできるだけ最先端のものに触れさせていかねばなりません。でも、学校には学校でしかできないことがあることは忘れてはいけません。何よりも学校だからこそ体験できることを子どもたちと大事にしてほしいです。
学校は手段か目的か
人生の目的は「将来よりよく生きる」ことだと思います。学校はそのための手段にすぎないのです。学校が目的だと思ってしまうと、「卒業させるまでに完結させなくては」と、変な校則にこだわってしまったり、生徒や児童を命がけの状態に追い込んでまでも登校させようとしてしまうのです。心の中では「持ち物や服装なんてどうでもいいからとにかく学校においで。学校には学校でしかできないことがあるから。」という気持ちを持っておいてほしいものです。それを前提に必要なルールやマナーを子どもたちと一緒に考えてほしいです。学校は将来よりよく生きていくための手段です。
職員室で青臭い話をしよう
ワークライフバランスを大切にしましょう。短期的な楽しみをいっぱい作りましょう。そして、時々、青臭い教育論をふりかざそうではありませんか。学校教育目標をどう思う?何で先生になったんですか?などなど。そんな職員室をみなさんが作っていってください。学校の先生というのはすばらしい仕事です。