見出し画像

初任者研で語ったこと

 教育長の大泉です。
 今年の4月から初任者として学校に赴任した先生がいらっしゃいます。社会人1年生でもあるこの先生の5ヶ月は、きっと目の前のことに対応することで精一杯だったことでしょう。夏休みに少しでもリフレッシュされたことを祈りながら、また新たな気持ちで2学期もがんばっていただきたいという思いをこめて、初任者研の講話としてこんなことをお伝えしました。前回の記事『夏休みの先生方へ』がベーズになっています。そこにいくつか加えてお話しました。
  


学校での一人称は何ですか?

 先生は学校で自分のことをどう呼んでいますか?「先生」ですか?「私」ですか?どちらが正解で、どちらがいいというのではありません。でも、4月最初、自分のことを「先生」と呼ぶことに違和感はありませんでしたか?その違和感を持ち続けてほしいということだけです。そういう心構えでずっと教師を続けてほしいのです。子どもたちや保護者に、長年かけて本当の先生にしてもらうんだという自覚をもつことが大切だと思っています。
 

昔、学校にだけピアノがあった…

 昔学校にはピアノがありました。それだけで学校は地域の宝とされていました。ところが今や、学校だけがICTなどで立ち遅れている傾向が強いです。とくに公立学校は。そのことで学校はよく揶揄されたりします。でも、それがどうした?と考えましょう。学校には学校でしかできないことがあるのです。
 

VUCAの時代に生きる

 不確実な世の中です。であれば、子どもたちに何でもかんでも完全形を与えていては生きる力を育むことができません。レストランで、完璧にできあがった確実に美味しい料理を提供するよりも、みんなで役割を分担したり話し合いを経て、失敗も経験できるようなBBQのようなしかけを学校では考えましょう。
  

〇〇畑で教師をしない

 ある中学校の校長先生が自慢げに語っているのを聞いたことがあります。「自分はずっと『生徒指導畑の人間』だから学校の立て直しに抜擢されたのだ」と。そんな特別な畑で私たちは仕事をするのではありません。学校の先生はマルチタスクなものです。そしてそのすべての教育活動の根底をつくっているのは「人権感覚」です。生徒指導畑なんていうところだけで仕事をしてきたと胸をはるのは偽物の教師だと思います。
  

手遅れになる前に外へ出よ

 夏休みにお友達と会いましたか?それは教師でない人ですか?教師ではないお友だちをどうか大事にしてください。これからまためまぐるしい学校生活が再開します。100パーセントの力を注いでいるうちに、確実に先生の時間と空間はどんどん小さくなっていきます。自分から外へ出るような工夫をしなければいけません。私もある時そのことに気づきました。何とか外へ出たいと思いました。仕事をしながら2年間夜間大学院に通わせてもらいました。本当に有意義な時間でした。先輩の先生から「今さら大学院へ行って何の資格がとれるの?」と聞かれましたがそうではありません。教師に必要なのは「時間と空間」を拡げることです。そのために外へ出なければなりません。研修を受けるにしても官製研修ばかりではなく自分が興味のあるものを自分で見つけてください。
  

学校は手段か目的か

 人生の目的は「将来よりよく生きる」ことだと思います。学校はそのための手段にすぎないのです。学校が目的だと思ってしまうと、「そこで完結させなくては」と変な校則にこだわってしまったり、命がけの状態の子どもを登校させようとしてしまうのです。心の中では「服装や持ち物なんか何も気にしなくていいからとにかく学校においで。」という気持ちを持っておいてほしいものです。たとえばインフラが寸断されるような事態に陥って、学校だけが再開するようなことになったら、きっと先生方はそう言って子どもたちに声をかけると思うのです。でもよく考えると、そういった非常事態というのは、公立学校に通う子どもたちを取り巻く環境を考えると日常のことかもしれないのです。
 

「学校はたまたま乗った電車です。」

 私が中学校校長時代に全校集会で話した講話です。この一言だけです。体育館がざわめきました。集会が終わってからこの言葉の自分なりの解釈を伝えるために何人かの生徒が校長室をたずねてくれました。学校というところでは「折り合いをつける」ことも学べると思います。たまたま乗った電車では当然乗客同士が折り合いをつけて過ごします。電車の中に車内での過ごし方について細かいルールが掲示されているわけではありません。それでも身体の不自由な人やお年寄りには席を譲ります。大声を出したり走り回って他人に迷惑はかけません。何かのきっかけでたまたま隣に座った人と友だちになるかもしれません。
 

気になるあの子を中心に

 先生のクラスの中に「気になるあの子」がいるはずです。「気になる子」に強く関わることは決してひいきではありません。その子を中心にして、その子とクラスの子どもたちが一緒に生活をし関わりをもつことで、クラス全体が育っていくようなしかけをつくっていってほしいと思います。私にも特別支援学級在籍のAさんがクラスにいてくれたことで、Aさんを中心にしてクラスがどんどん成長していったすてきな思い出があります。(これについてはいくつかのエピソードをお話しました。)
 

学校っていくら?

 閑話休題。
 私は校舎の新築に関わったことがあります。まっさらの校舎を建てていただきました。さて、土地代、備品代をのぞいて校舎のみでいくらくらいかかったでしょう?
(ここでは詳しく書きませんが、もちろんかなりの高額。でも最新鋭の戦闘機1機を買うのにはなんとその3倍以上もかかるという話をしたら先生は目を丸くしておられました。)
 

子どもたちは未来から来た留学生

 私が初任者の時にお世話になった校長先生の言葉です。今、まさにその言葉の意味を大事にしながら私たちは学校のことを考えていかなければなりません。目の前の子どもたちの未来を想像しながら教育にあたっていかなければ子どもたちには申し訳ないと思います。ある教育長はこのようにおっしゃっています。「私たち教育に携わる者が、児童生徒の出ていく社会を知ろうとしないのは、極めて不誠実であり、子どもたちが大人になる未来を見据えた教育が行われる学校に変えていくべきである。」
 

学校には学校でしかできないことがある

 二学期が始まりますね。学校は楽しくなくてはなりません。子どもたちの声を大切に、子どもたちといつも一緒に楽しい学校をつくってください。学校には学校でしかできないことがあります。教師という仕事はすてきな仕事です。
 

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!